究極の質問です。
あなたは、死を意識して生きていますか?
死は、あなたのすべてが終わります。
死を意識すれば、人生を悔いなく生きようとしますよね。
悔いなく生きることが、効率的に生きると言えます。
「終わりを意識すれば効率的になる」
死は極端ですが、この考え方は多くのことに適用できます。
本記事の内容
- 終わりを意識すれば効率的になる
- 終わりを意識しないと効率的にならない理由
- 「メメント・モリ」ですべて効率的になる
それでは、上記を解説していきます。
終わりを意識すれば効率的になる
人間の死は、極端過ぎる例でした。
もっと身近な例で説明します。
サービス残業が強制に近い職場で働いているとイメージしてください。
このような職場では、定時なんてあってないようなモノです。
つまり、終わりがないのです。
終電が終わりと言えば、終わりですけどね。
でも、それは強制終了なので除外します。
このように定時を意識できない場合、仕事を早く終わらせようと思いますか?
効率的に仕事をこなそうと思いますか?
「No」ですよね。
効率的に仕事を終わらせても、早く帰ることはできません。
そのような状況で、生産的になれるはずがありません。
では、今度は逆に考えてみましょう。
定時があると。
定時だから帰るという人間のことは、とりあえず置いておいてください。
この場合であれば、定時までに早く仕事をこなそうと思いませんか?
効率的に仕事を終わらせようと考えませんか?
「Yes」ですよね。
以上より、定時という終わりを意識すれば効率的に仕事をすると言えるでしょう。
終わりを意識しないと効率的にならない理由
じゃあ、なぜ終わりを意識しないと効率的にならないのでしょうか?
それには、大きくふたつの要因があります。
- 終わりが見えないので諦める
- 時間が無限にあると勘違いしてしまう
下記でそれぞれを説明します。
終わりが見えないので諦める
定時の件は、このケースになります。
このケースのもっともわかりやすい例は、賽の河原です。
賽の河原は、三途の川の手前にありますね。
石を積んでは、それを鬼が崩すというヤツです。
これは、終わりがありません。
このような状況では、完全に諦めます。
心が折れますよね。
こんな状況では、効率的に石を積もうとは決して考えません。
時間が無限にあると勘違いしてしまう
若いときなんて、時間が永遠にあると思ってしまいますよね。
永遠にあるとは思わなくても、すぐに死ぬとは考えていません。
だから、ダラダラと人生を過ごしてしまいます。
逆に、余命1年などと宣告されたら、その1年は必死になって生きるはずです。
ちなみに、死を意識して生きることを「メメント・モリ」と言います。
「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という警句ですね。
「メメント・モリ」ですべて効率的になる
人間にとっては、死が最大の終わりです。
では、それを意識して生きていけば、すべてが効率的になるのでは?
ブラック企業で定時のない疲労した人生を送っているとします。
その場合、「メメント・モリ」の考え方なら、ブラック企業を辞めることになります。
そんなところで無駄な時間を過ごすのは、非効率なだけです。
仕事の生産性を上げる云々の次元ではありません。
「メメント・モリに従って生きるぞ!」と思う人が出てきてもオカシイことではありません。
そのように思う人が、ガイコツを好むそうです。
もしかしたら、ガイコツ好きの人は普段から効率的な人かもしれません。
ちなみに、私はガイコツが好きです。
小学校のときに、版画でガイコツを彫ったことがあるくらいです。