海外の掲示板Redditに、こんな問いが投げ込まれていました。
AIをひどく愚かだと言う人がいる。 一方で、現代の奇跡だと言う人もいる。 この半々の分断は、心理的にどういう仕組みで起きているのか
投稿した人は完全に後者です。
この技術の進化速度に、毎日驚いているのだそうです。
欠点があることも認めています。
それでもなお、前者の感覚がまるで飲み込めない。
だから他人に尋ねてみた、という内容でした。
そこに200件を超える返信が集まりました。
並んだ回答を読んでいくと、評価が真っ二つに割れる理由が立体的に見えてきます。
同じ出力を、違う物差しで測っている
いちばん腑に落ちたのは、比較対象の話でした。
理想的な人間の知性を基準に置くとします。
すると、AIの間違いは信じがたいほど間抜けに映ります。
ところが、5年前のコンピュータにできたことを基準にしてみてください。
まったく同じ出力が奇跡に見えるはずです。
物差しが違うだけで、評価はあっさり反転してしまいます。
ここに確証バイアスが乗ります。
批判する側は失敗例に目を留めます。
そして、称賛する側は突破口に目を留める。
それぞれが自分の見立てを裏づける材料を集め続け、両者の距離はさらに開いていきます。
厄介なのは、どちらの見方にも根拠があることです。
AIはある作業で圧倒的に優秀です。
しかし、別の作業ではまるで役に立ちません。
両方が同時に本当なのです。
ハンマーにランボルギーニを期待していないか
道具のたとえも印象に残りました。
一方のグループは、AIをハンマーとして扱います。
何が得意かを把握したうえで使う。
そして、バージョンが上がるたびに伸びを確かめます。
もう一方のグループは違います。
そのハンマーに、洗濯機やペンチやテーブルの役割まで求めるのです。
当然うまくいきません。
そして「このハンマーは過大評価だ」と結論を出す。
ネジをハンマーで打ち込もうとして、道具のせいにしている。
そんな言い方をした人もいました。
専門分野に入った瞬間、評価は下がる
これは複数の人が書いていた指摘です。
自分の専門領域でAIを使うと、粗が見えます。
データベース管理者でも、外科医でも、文章を書く人でも同じでしょう。
細部の誤りに気づけるだけの知識を、すでに持っているからです。
ところが、専門外で使うとどうなるか。
返ってくる答えは、驚くほど的確に感じられます。
判断できないから、間違いにも気づけないんですよね。
つまり「AIは賢い」「AIは馬鹿だ」という感想は、AIの性能を表していないことがある。
むしろ、話し手の立ち位置を映しているのです。
ここは自戒を込めて覚えておきたいところ。
ひとつ補足があります。
専門的な問いでAIが役に立つかどうかは、その答えを自分で検証できるかどうかで決まる。
そんな指摘も出ていました。
範囲を絞った具体的な質問なら、正しさの確認は簡単です。
逆に、抽象度の高い丸投げほど検証が難しくなります。
質問できない人には、何も返ってこない
ある人は、周囲にAIを紹介したときの経験を書いていました。
紹介された側は、面白い質問をひとつも思いつかなかったそうです。
「あなたのことを教えて」「朝食は何を食べたらいい」。
この調子では、たいした答えは返ってきません。
そして「使えないね」で終わります。
この人が誠実だったのは、自分にも同じことが起きると認めていた点です。
化学の実験装置や、車の新しい部品を嬉しそうに見せられる。
それでも、何がすごいのか自分にはわからない。
きっとすごいのだろうけれど、その良さを受け取る土台がなかった、と。
道具の評価には、使い手側の準備がどうしても混ざります。
批判の多くは、そもそも性能の話をしていない
ここが重要だと感じました。
「AIは馬鹿だ」という言葉の中身が、性能への評価ではないケースがかなりあるのです。
返信では、こんな懸念が繰り返し語られていました。
- 自分の仕事が数年で価値を失うのではないか、という不安
- 生成された絵や音楽や文章が、創作の領域を侵しているという反発
- 企業が最悪の形で導入し、使えないチャットボットを客に押し付けている現実
- 巨額の投資を回収する過程で、利益が優先され、人が後回しにされるのではという予感
技術そのものは驚異的かもしれません。
ただし、それを握る側の使い方は別問題です。
この2つを分けずに語ると、議論はいつまでも噛み合いません。
「AIは現代の奇跡である。同時に、企業によって最高に愚かな使われ方をしている」。
両立を認めるこの一言が、個人的にはいちばん誠実に思えました。
意見が数年前で止まったまま
もうひとつ、地味に効いている要因があります。
評価の更新をやめてしまう人が多い、という話です。
初期のモデルを一度だけ触る。
期待外れだと感じる。
そこで結論が確定します。
その後にどれだけ性能が変わっても、判断は当時のまま置き去りです。
人は一度下した評価を、なかなか書き換えません。
10年前の失敗をいつまでも持ち出してくる知人のようなものだ。
そんな比喩が出ていました。
逆方向も同じです。
最初に感動しすぎた人は、慣れとともに欠点ばかりが目につくようになる。
そう正直に書いている人もいました。
感情は必ず動きます。
だからこそ、定期的に自分で試して確かめるしかありません。
まとめ
議論を追いかけて残ったのは、拍子抜けするほど単純な結論でした。
AIは賢くもあり、愚かでもある。
どちらの体験も嘘ではありません。
使う目的、使い手の専門性、質問の精度、そして触った時期。
これらによって、見える顔が変わるだけなのです。
だとすれば、いま自分がどちらの陣営にいるかは、たいして重要ではないでしょう。
それより、なぜ自分がそう感じたのかを一度ほどいてみてください。
- 比較対象は何に置いているか
- その道具に何を求めたのか
- 判断の材料は、いつ触ったときのものか
ここを点検すると、賛成派と反対派の話が、初めて同じ土俵に乗ってきます。
分断を眺めて面白がるより、そのほうがずっと役に立つはずです。
